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物を書くということ。 

「物を書くということ」・・・そんな偉そうなことを言える立場では決してないのだが、“いわもとあきら”にとっての「物を書くということ」ならば、九州の端っこでコソッと誰にも聞こえないように叫ぶ分ならお天道様も許してくれるだろう。

「物を書くこと」はナルシズムの極みでしかなく、ソレを本業としようなどと自身が企む段階で既に現実社会に不適応となったも同然。そうは言っても、高名・著名、偉大なる文学者の御歴歴や流行作家の大先生方のことを差しているのではなく、あくまでも自身のこと。汗を流して働こうという勤勉実直な心根が腐っている証。芸術家だから・・・なんて言い分けすれば聞こえはいいが、所詮、パトロン在ってこそ。理解者が面倒を見てくれるのならまだしも、親のスネを齧ったり、ヒモ紛いの生活したりでは、他人様のお涙を頂戴するような文章、この俺の才能で書ける訳がない。
 ガキの頃から他人様に後ろ指を指される事を極端に嫌った俺のこと。夢と現実の大矛盾に、深く苦悩するものの、随分あっさりとした逃げ道を見つける。
「そうだ。肉体労働をすれば良いんだ。誰も真似できないくらいハードな経験を積んでしまえばこっちのもの。一時、骨を埋める覚悟で、一生分の汗を四十までに流してしまおう」
 実際に文章を書くことに甚大な体力と集中力を要することなど、若さという有り余る情熱と根拠の無い自信の前では気にも留まらぬ問題だった。どんなにハードな経験を五年、十年積もうとも、ひとつのことをコツコツと生涯を捧げて継続することの凄まじさなど、当時は気付きもしなかった。二十、二十と言ってきたけど、正確に言えば十九の夏のこと。「夢」と言うには聞こえは良いが、「叶わぬ呪い」のようなもの。いろんな想いを誰かに伝えたくて、誰かに想いを聴いてもらうために、その想いの裏付けを築くため、困難の先に必ず光明があるものと強く信じることにした。それが十九の夏。

 こんな動機を持つだけに、俺にとって「物を書くこと」は完全に自虐行為。昨日チラッと触れはしたものの、マゾと言われればソレも甘んじて受けるしかない。何分、ピーコ女王という言葉の通じぬ御インコ様と出会ったこともソレを助長する一因かもしれないが、「物を書くこと」を「自らの羽根を引き抜いて織物を仕上げること」と中学の時分から感じていたコトを思えば、あながち最初からそんな性癖もあったのかもしれない。

 思いついた表現や言葉、時事の話題、経験したエピソードや想像したことを心血注いで文章化すること。二十歳前後では、それこそがイコール「物を書くこと」だった。


 肉体労働の世界に足を踏み入れ、やがてサラリーマンとなり、脱サラして再び日雇いの仕事をこなし・・・そんな中で、いつからかサディズムの感覚が己の中で芽生える。削る。切る。捨てる。・・・文章を書いたもののエゴなど気にしない。不要と思われる部分は徹底的に殺ぎ落とし、簡潔で誰にも誤解されないような文章に仕上げる喜び。己に名が有れば、どんなに難解な文章を書こうとも、好意を持ってくれる方は読んでくれる。だが、名も能も持たぬ一介のサラリーマン、しかも当分筆を持たないと決意した者が、「ビジネス文書」で顧客や社内の上層部の意を得ようとすれば、「数字」と「明快さ」だけが生命。そんなサドの性癖を身に(まと)えたお陰で、学んだことも無い「ビジネス文書」を思いのままに操った。

 
 三十を過ぎる頃、このままじゃ長い小説なんて書けないんじゃないかと密かに思った。
 削ることに慣れてしまい、装飾をこまめに施した文なんてもう書けないんじゃないかと、(かす)かな疑問を持ったのである。

 三十五の夏が終わろうとした頃、やはり「夢」は「夢」のまま終わるのだろうと、絶望に暮れた。
「継続すること」の大切さに初めて気付く。
 もう、俺なんかにモノを書けるはずが無い。直木三十五賞を五十過ぎで受賞する方の存在に安堵した勘違い野郎も、ついこの前まで女子高生だった世代の女性達が芥川賞を取るようになるとさすがに現実を目の当たりにし、(うそぶ)いて強がるコトすら出来なくなったのだ。

 自営業を始めてはいたものの、取引先のある方に頭を悩まされ、運悪くケガも重なり当分仕事を休むことに。結婚したばかりと言う責任もあいまって、重い鬱に苦しむ羽目に。
 八方(ふさ)がりの状況で、「四十で作家デビュー」という昔見た夢を諦め切れず、嘆くだけでは何も変わらぬ現況を打ち砕こうと、とりあえずではあるが「ブログ」を始めることにした。平成十八年八月。


 果たして平成二十年、“俺”は成長出来たのだろうか。
 自虐をベースに頭の中身を文字にし、徹底的に文章を切り刻み、そんな感じで、誤魔化し誤魔化しやってきた。
 実はつい最近になって、「裸」に剥かれ、絞り尽くされた文章に、「服」を着せる喜びというヤツに目覚めた。装飾しようと思えばいくらでも出来る。文章が肥大化し、再び理解し辛くなろうとも、ソレはソレで目を(つむ)る事にした。“今”はソレでいいのだ。門外に身を投げたした者には我流を貫く時期も必要だろう。とにかく書いて書いて書き殴ろう・・・。
 次から次に言葉が沸いてくる。文字に変換するスピードに記憶力が追いつかない。
 やっと、これからだ・・・・・・。


 ドMからドSへ、そして今マニアックな喜びへ。
 


 格別、他人様にお披露目するようなコトではないのだけれど、現在の正直な気持ちを書き留めておきたくて・・・。


 




 なにげないニュアンス・・・“事”と“こと”、“コト”。“訳”と“わけ”、“ワケ”。“もの”、“モン”、“モノ”、“者”、“物”。もっと言えば句読点の位置。リズム感。便利な機械の変換機能に気付かず誤字をスルーしてしまう危惧。
 駄文は駄文なりに、いろいろと気を遣い、推敲に次ぐ推敲を重ね、目を皿のようにして・・・・・・今日もふとどき、コダワッテ居ります。当たり前のことですが・・・。
 コダワリ抜いた一品が、ショッパイ料理(未来)となろうとも、甘んじる覚悟は出来ました。
 不肖・ふとどき、なんでも残さず食べる良いコです♪


 だからこそ、嫁さんを大事にしなくちゃね・・・。
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[ 2008/02/05 19:25 ] 言い訳・・・ | TB(0) | CM(2)

♪千さんへ

お褒め戴きありがとうございます(^^)v
情熱だけじゃ何も変わらぬ世の中でございますが、だからと言って情熱すらない者にひとの心なんざ動かせはしませんから♪
やれる時にやっとかないと、ねっ(*^^*)
[ 2008/02/09 21:23 ] [ 編集 ]

応援!!!

こんばんは

なんだか、ね。

圧倒されますねぇ。

肩の力を抜いて・・・・・、ああ・・・これが一番大事!・・・奥様と仲良く、・・・ね!


しっかり!!!!
[ 2008/02/09 21:07 ] [ 編集 ]

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