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言い訳・・・ 

 週の初め、月曜日の昼下がり。
 不肖・ふとどき、すっかり“主夫”と化してしまっております。
 中国産毒餃子の風評被害の陰で、メディアによる“餃子”というキーワードの垂れ流し=“集団催眠”にタダでは転ばなかった日本人のたくましさと食い意地の凄まじさ。密かに餃子の皮やひき肉の売上が伸びているというNEWSを聞いて、不謹慎にも笑い転げてしまいました。

 御インコ様のお世話をし、掃除し、洗い片付けをし、洗濯機を回し始めて、コーヒーを淹れ・・・。
 意外にも「値下がりした高級海鮮巻き寿司」が夜勤明けでピリピリしてる嫁さんに好評を戴きまして、平成20年2月4日、男・ふとどき、無事に午後のひと時を迎えることが出来ました。これもひとえに・・・・・・って調子に乗って昔書いた詩なんぞを引っ張り出してる場合じゃないでしょうが!!

 実は資格試験を明後日に控え、テキスト(めく)って大あらわのはずなんですが、なにぶんプライベートなことは徹底的に伸ばし伸ばしにしてしまうだらしない性分なモンでして、高い金を出して取り寄せたはずのテキストはいまだ折り目も付かずに『ゴルゴ13』の下敷きに。
 嫁さんの怒りにも似た辛抱の下、強引に戴いている「試験休暇」をそろそろ本来あるべき姿にしてあげようと、机に向かったはいいのですが、亜空間フィールドからのお誘いが・・・。
『週刊スタートレック -ファクトファイル-』 ・・・当初、全巻50号のつもりで2003年2月某日、清水の舞台から飛び降りたのに、貧ぼっちゃま(©小林よしのり大兄)のふとどき、いまだ地面に激突せずに、積もり積もった彼の聖書(バイブル)は既に第253号。刊行予定は現在なんと314号! 本場英国版好評という事情による延長に継ぐ延長とはいえ、『ふとどき日記』 [お話があります・・・ /2006年10月22日記事]で怯えまくった恐怖の元凶は尚、我が家の暗黒面にしぶとく横たわっております。
 で、貧乏なトレッキーにしかわからない苦悩を告白するのはやめといて、無事、亜空間フィールドから離脱出来たかに見えたふとどき、つい遅々として整理の終わらぬ本棚に目をやって、過去の遺物を発見してしまったのでした。

 昭和62年10月発行とされるこの冊子。パラパラと捲れば、今以って原稿用紙の使い方に確固たる自信の無いふとどきめを形成した証拠ともいえる“過ち”が、きちんと活字になっているではありませんか!
()く斯く然然(しかじか)云云(うんぬん)かんぬん。」
 えっ、何が言いたいかって? マルですよ丸。“。”、いわゆる句点。
 本来カッコを閉じる時は最後に“。”を付ける必要は無いわけでして「斯く斯く然然。云云かんぬん」の最後の“”は余分なもの。コレが堂々と大分県の高校文芸界の集大成たる『高校文芸』の諸作品に使用されているのですから、1980年代に糸井重里氏が作品の“コピー”に“。”を効果的に用い始めるようになる以前の事象に起因していると、私は推測しております。確かに、義務教育、それも低学年時に担任の先生から国語の時間でそう習ったという記憶。おそらく、大分県の教員養成機関(主たる該当先はひとつ)で免許を取得した教員達による邪教の流布でしかないと、自らの不学を棚に上げて、ふとどきは叫びます。
 小学校などでラジオ体操をする時の掛け声・・・いわゆる、「体操隊形に開け!」「やっ!!」の“やっ!!”が「福岡を中心にした北部九州に根付く、号令の対となる掛け声」のミステリーも、当時、当地域の体育教員養成機関に受け継がれた伝統からなるものだと推理している不肖・ふとどき。そんな義務教育の得意科目で100点を取ってしまったが為に、原稿用紙の使い方をはじめ、現代仮名遣いに自信が持てないことがトラウマとなり、なかなか作品を書けないのだと、自分自身を正当化させて頂きます。
 昨今の“携帯小説”には全く関係の無いこだわりなのかもしれませんが、拙者、文学という芸術の道を目指す以上、百年経っても通用する正しい文章を心がけたいと思っています。

 えっと、なんでしたっけ? あっ、そうそう・・・。『高校文芸』・・・。

『分岐点』―――作者・いわもとあきら。
 極力、著作権を侵すことの無いよう、ジャニーズ並の自己管理で他人様の画像や作品の権利を傷付けないブログ更新を信条としているふとどきではございますが、非商業誌の自分の文章なんだもん。いいだろ。
 それにしても、青いなぁ・・・青い! 何が“助言者達よ”だ。当時(『ふとどき日記』 [不評 /2006年8月31日記事]参照)は誰も指摘しなかったけど、明らかに人気漫画『キン肉マン』のワンシーンにインスパイアーされた様な独りよがりの詩。SだのMだのと、本来格調高き文学者達に由来する、秘すべき性的志向の象徴とも言うべき隠語が公共の電波で、あるいはうら若き乙女達によってすら、公然と誰(はばか)ることなく口にされる様になった二十一世紀初頭。あん時は誰もそんな批評をしなかったけれど、今、こんな詩をお披露目しようモンなら、即刻「お前、“ドM”だろ!」と斬って捨てられるであろう作者の性癖は、37歳の冬においても辛うじて“ノーマル”の範疇に納まっておりますのであしからず。(最近ちょっと変革の兆しが・・・)
 

 数え三十九のサラリーマン社会からはみ出したアウトローがリアルタイムでこんな詩を書こうものなら、少し彼の今後を心配してやらねばならぬのだけど、17歳目前でこんな詩書いてたおにいちゃん。当時同世代の女性を共感させられなかったとしても、「青春の咆哮(ほうこう)」だの「若気の至り」だのという観点で見れば、まぁま、頷けなくもない。
 ただねぇ、この作者が凄いのは本当にこの詩に書いている通りの人生を、この後もずっと貫いてるってコト。歩き続けて20年。いまだに光は見えやしない。
“信じた夢を叶えるためならたとえどんなに困難であろうとも己の信じる道を往く”そんな決意と気概を込めて書いたはずの詩ではあるけれど、まっさか本当に苦労ばかりの人生を歩むことになろうとは、思いもしなかったんだろうなぁ・・・。書き記した“所信表明”をすっかり忘れて四十目前。惑っていられるのもあと僅か。なのに詩そのまんま、しかも出口も見えないような流転の人生を歩むとは・・・・・・。いささか本人もビックリ、開いた口が塞がらない。厳しい世界を生き抜いてこそ、本物の男・・・武士道や求道者にも似たヤツの幻想は、悲しいかな現実社会ではトコトン通用しなかった。


 さぁ、不退転の決意を持って臨んだ2008年。このまま我を貫いて光明を見出せるか、くすぶったまま消え去るのかの分岐点。
 一体、どうなりますことやら・・・。
 

 あっ、試験勉強しなきゃ・・・・・・。





※当時、活字化された際、『分岐点』は誤植により『分“峡”点』とされておりました。いつまでたってもとんちんかんなふとどきの原点は、これまたマヌケなものでしたとさ。





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[ 2008/02/04 17:20 ] 言い訳・・・ | TB(0) | CM(0)

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