さすがに、昨夜はいつまで経っても眠れなかった。
激痛、ではない。敢えて言うなら鈍痛。重ったるくて少し熱っぽくって身体を動かすと痛くって動かさなくても痛くっておまけに後頭部までずっしり重い感覚に囚われて・・・「無理しないで下さいね」「痛み止めはすぐ出せるように処方されていますからね」「痛む時はすぐ言って下さいね」・・・先生からも看護師さんからも度々そう声を掛けられていたというのに、とうとう朝が来るまでろくに眠れずひたすら耐えるというおバカなことをやってしまった。
だって、俺、健康体なんですもの。一応。本当に深刻な患者さんが多く眠ってるこの病院で、俺みたいなもんに看護師さん達の労力を割かせるわけにはいかんでしょ。仮にもちょっと前まではうちの嫁さんだって夜勤をこなしてたんだもん。耐えられる痛みなら耐えてみせなきゃ、後に続いてくれるかもしれない人たちにだって申し訳が立たないって言うもんさ。痛みより眠気が勝れば、その内眠れるって・・・。
「大体皆さん1〜2回は痛み止めを飲むもんなんですよ」
えっ?! そうなの??
朝を迎え、日勤の看護師さん達が出そろう頃になってようやく「ギブミー痛み止め」コールをした不肖・ふとどきに掛けられた声に拍子抜けする。
そうか、飲むのが普通だったのか。でも耐えようと思えば耐えられるレベルだって思ったんだもの。なんか無駄に苦しんだ一夜が無性にもったいなく思えてくる。
その後、服用した薬のお陰で、心身のもやもやは一気に解消される。
夕方、そのことを見舞いに来てくれた嫁さんに告げると、相変わらずあんたはあほな気遣いをすると呆れられ、コーディネーターさんからは心配され・・・でもですね、これぐらいの痛みで人の生命を救えると思えば、ほんとに楽なっこってすよ! と、それだけは嘯くでもなく、真に宣言出来る41歳なわけで・・・。
「患者さんへの移植は昨日無事に完了したそうです。先方のドクタ−からも、骨髄バンクからも報告がありました。本当にありがとうございました」
いえいえ、お安い御用で・・・と、主治医の先生にはさすがに返せなかったけれど、本当にこれぐらいお安い御用です。
コーディネーターさんや先生、看護師さん達、その他大勢の方々の御尽力あっての賜です。
後は俺のしぶとさを存分に発揮して、患者さんをすんなりと快方に導くことが出来ればOK!
どうか絶対にうまく行きますように!
「なぜ骨髄ドナーになろうと思ったんですか?」
今回の骨髄提供に至る過程の中で、何度かそんな質問を受けてきた。
なぜかって、なぜかって、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うーん・・・。
正直、即答出来た試しがない。
だけど、今夜、健康体にしては随分控えめの夕食を補おうと、こっそり院内売店で買って来たカレーライスに挑もうとしたまさにその時、やっと答えが見つかった。
そう。俺はそうすることが当然と思っていた。献血が出来る年齢になれば、喜んで血を提供したし、献血会場に臓器提供や骨髄バンクの資料があれば、迷うことなく登録した。
なぜならば、それが当然だから・・・。
じゃ、なぜ、“当然”なのか?
その答えこそが見つからず、随分悩んでいたのだけれど、スプーンを手に取った瞬間に、やっと意識出来たのだ。
我が母は俺が思春期真っただ中だった頃、実の兄に片方の腎臓を提供した。
残念ながら、その伯父さんも近年亡くなってしまったのだけれど、それでも父や親戚、周囲の反対を振り切ってまでも、当時腎移植に対してまだ充分な世論が形成されていない世の中を捨てる覚悟で、ただただ一心に兄の回復を祈り、手術に挑んだのだ。
そりゃあ、ガキの頃からテレビやなんだで見聞きしてきたヒューマニティー溢れる情報の影響も有るんだろうけど、バッリバリに反抗しまくっていた親不孝者のドラ息子をして尚、誇らしく思えた母の一連の行動だった。
だから、だからこそ、今回のことは俺にとって「当然のこと」なのだ。
そこに救えるはずの生命があるのなら、こうすることが、俺にとっては「当然」。
しかし、実のところ、件の母も、看護師の嫁さんも、この俺にとっての「当然」を当初から快く応援してくれたわけではない。
俺の仕事をこれからも続けて行く中で、万が一にも腰に負担を抱えるようなことは一家の主として控えるべきことだったのかもしれないわけで・・・。
だけど、それでも、そこに救えるはずの生命があるのだから・・・。
「どうせあんたは誰がなんて言っても自分の思った通りにやるんでしょ!」
彼女たちの共通見解。
正解。そう、その通り。
“救世主”なんておこがましい、恩着せがましい気持ちはこれっぽっちもない・・・って言い切っちゃうと少し口が滑った感も否めなくなるのだけれど、実際、今日までは、当たり前のことをするだけで大したことではないんだと思ってた。うん。
でも、いざ、骨髄を抜かれ、患者さんの元に届きましたよって報告を医師やコーディネーターさんから伝えられると、「絶対に俺が救生主にならなけりゃいかん!」と、強く思うようになった。
イエス・キリストやケンシロウに与えられた“救世主”って通り名ではなく(って、同列に比較してしまう己の不勉強さを恥じるばかりだけど)、近畿地方で長く病気に苦しんできた30代男性にとっての“救生主”。
必ず、俺の骨髄液があなた様の生命を救って見せます!!
まっ、患者様の情報ってばこれぐらいのことしか知らされないのです。
健全なボランティア事業として骨髄バンクさんが徹底しているルールですから、どこぞの悪趣味なメロドラマのように、実はお金持ちだった患者さんが黒塗りの車で迎えに来たり、その後落ちぶれて明日をも知れなくなったドナーがいまだに完治していない患者さんを訪ねていったり・・・なんていうことは決してあり得ないこととなっております。
いつものように・・・っていう表現をこの数年間、ほとんど『ふとどき日記』を更新しなかったおいらが使うのもどうかと思いますが、いつものように少し話が脱線しちゃいました。すんません。
必ず俺の骨髄液で元気になって下さい!!!!!
ただ、ひとつだけ残念なお知らせが・・・。
《血液型占い》というものをほっとんど信じていない俺が言うのもなんですけど・・・あなた様、移植が成功すると、俺の身体に流れる赤い液体とまったくおんなじ赤い液体を身体の中で作り始めるようになるようですよ・・・。
これまでの血液型がどうであれ、うちの息子よりもはるかに俺の血にそっくりな、A型の、Rh+の、そして“損な性分”の源と完全一致の血。
血液型を決める赤血球の因子は骨髄液移植前に処置して抑え込むらしいのですが、それでも尚、わたくしめの血液同様のものを作り始めるらしいので・・・やっぱり受け継がなくて良いものまで・・・・・・って悪ぶってもしゃあないか♪
とにかく、“しぶとさ”だけは折り紙付きの“血”なんで、拒否反応なんて起こさずに、すんなり、あっさりと受け止めて、早く元気に外の世界を闊歩して下さいませ!
※※※ 補足 ※※※
「骨髄バンクにドナー登録するのってどんな感じだったんですか?」
今回受けた質問の中で、一番うれしかったのがこの質問です。
えっと、興味がある方、私の方でもいいんですけど、何はともあれ献血会場や
骨髄バンクのホームページなんかをお気軽に覗いてみて下さい。
骨髄バンクは絶対にあなたへ骨髄提供の強要をすることはございません。
むしろ骨髄採取手術に至るまでのデメリットに関して、正確に、丁寧に、各々の理解度に応じて、説明してくれます。
そして、献血の採血制限がある外国の滞在歴等が有る方でも、骨髄の提供は可能となる場合があります。
途中で考え直すことも出来ます。
ただし、患者さんが拒絶反応を抑えるために無菌室に入り、造血機能を一旦破壊されてしまって以降の心変わりは、確実に患者さんの生命を脅かすというか奪うことに繋がりますので禁止されています。
あなた様に出来るのはただ、ひたすらに“健康であること!”。
俺みたいな自営業者でも、なんとか顧客の皆様方の理解を得て、本日を無事終えることが出来ました。
そして・・・・・・・・・現在の法律上、もう一回の骨髄提供とこちらも1回だけとなりますが末梢血幹細胞提供をすることが出来ます。都合あと2回ドナーとしてお役に立てる可能性があるということです。何度でもドナーとして受けて立つ覚悟はあるんですが、倫理云々はすぐに変わることはないそうでして…。
実は国内での非血縁者間の末梢血幹細胞移植4or5例目になる可能性があったのですが、血液中の総コレステロール値がほんの僅か基準値をオーバーしていたために、今回は見送られてしまった新し物好きで無念無念の不肖・ふとどき、最後の最後に肝心な御報告をするあんぽんたんですけれども・・・・・・・・・無事、全身麻酔と骨髄採取とを終えております。
最後まで読んで戴いてありがとうございました!
散々無茶な予定を組んで、眠ることすら忘れたかのような生活すらしつつも、本日、無事に入院した。
元気、元気! 至って健康♪
眠れずに再び耳にしたイヤホンからは、息子のための仮面ライダーのテーマ曲がシャッフルで偶然流れてくる。
そうだよ、碧くん。お父さんは病気のひとを助けるために、頑張ってくるからね!
骨髄ドナーに選ばれた時に家族で一緒に見たDVD。
頭をバンダナで覆った患者さん役の人を指して「おとうさんがこのひとをたすけにいくの?」って君は聞いたよね。
君が生まれてきてくれた時とはまた別の意味で、“俺の生命は俺一人だけのものではない”と強く意識したこの数週間。
4日間の入院期間を確保するために、アホなくらいスケジュールを詰め込んできたけれど、事故もせず、なんとか無事に、この身体を病院に届けることが出来た。
後は明朝。
先生に身体を託し、“ちっくん”をいっぱいされるだけ。
お父さんは“ちっくん”くらいじゃ泣かないよ☆
そして必ず笑顔で眠りから醒めて見せるからね!
名も知らぬ、顔も知らぬあなた。
必ず助けて見せます。
だから、今夜はどうぞゆっくりお休み下さい。
こんな表現をするとコーディネーターの方や骨髄バンクの方々に、「誤解を生む」と怒られるのかもしれないけれど・・・頑固で理屈っぽくてその割おばかな、しぶとくてふとどきな血を作り出す、その“素”をお届けします。
だから早く元気になってくださいね!
僕とあなたとは一生顔を会わすことはないのでしょうけれど、この広い空の下、どこかでお互い汗をダッラダラ流しながら笑ってる、そんな夏が早く来ることを、心から祈ってます。
じゃ、とっくの昔に消灯時間なんで・・・おやすみなさい!
島田紳助さんが芸能界を引退するという。
「思考」ということに関しては絶大な自信を持っていた十代終盤の俺の伸び切った鼻をポキリと軽く折ってくれた上岡龍太郎師が可愛がり、これからを託した島田紳助さん。
彼には大ファンとアンチファンとが居るのだろうが・・・、そしてうちの嫁さんも「あんた大好きやろ」って俺に言うんだけれど・・・・・・正直、上岡師が認めた男だからって感覚が圧倒的で、必ずしも大好きってわけではない・・・けど、嫌いではないんだと思う。
“思う”と付けなきゃいけないくらいあやふやな存在だった。
さっきまでは。
それは、彼が、いつまでも、そこに居て、しょんぼりくよくよしている人を、叱り、励まし、抱き締めて、生きる勇気を、見つけるきっかけを与えてくれる、そんな存在だと信じていたから。
この先、10年、20年、いやもっともっと、先達として、灯火として、俺の前に立ち塞がってくれると信じて疑わなかったから・・・。
今宵の彼の言葉は全て信じよう。
彼の決断も潔いと思う。
だけど、人としてのまっとうな感覚、義理人情よりも、ある種の“ルール”が優るこの御時世・・・ほんと、おもしろくない、つまらない、生きにくい世の中になったもんだこと。
今ね、初めて思う。紳助に会いたい。今じゃなくてもいい。いつか会ってお礼を言いたい。
ありがとうございました。
今まであなたにたくさんの勇気と元気と・・・・・・そして何より「笑い」を戴きました。
本当にありがとうございました。
とにかく暗く沈みがちなこの国にとってはあなたはまだまだ市井に潜るべき御方じゃないと思うんだけど、あなたの決意も尊いと思うから・・・・・・それでもこの国の民が求めたら、また戻ることも考えて下さい。
あるチャンネルでは政権与党の代表選に本命候補が名乗り出たことよりも、あなたの引退表明の会見の扱いの方が圧倒的に長かったのですから・・・。
日本が元気になるためにはまだまだ必要なのですからね。
会いたいな。
いつか会いたいです。
今はただ、それだけです。
「あおちゃん、おっきいおばあちゃんお見舞い行ったよね。死んじゃったんだよ」
「おっきいおばあちゃん消えちゃったの?」
「うん。バイバイしに行こうね」
敢えて、言葉を修飾せずに、ストレートに息子にぶつける。
そうか、もう君は“死”の概念がなんとなくわかってるんだね。
今は天国とかあの世とか、そういうことは置いといて、感じたままで、おっきいおばあちゃんにお別れが出来ればお父さんはいいと思うよ。
延命装置を外して実に50日。医師の理解を越える驚異的な生命力で、何度も何度もヤマを乗り越えながら、97年の生涯を祖母が閉じた。
複雑な家庭環境のせいで、心の奥底ではどこか遠慮がちに接して居た気がするガキの時分。
でも、紛れもなく俺に、そして碧に生命の灯を伝えてくれたおばあちゃん。
最初の危篤になって駆け付けるのが遅れた時も碧のこと待っててくれたね。
碧は恐ろしく記憶力のある子だから、おばあちゃんの肉体が消えても、おばあちゃんのこときっと忘れないよ。
本当にありがとう。
そして長い病院生活、お疲れさまでした。
もうおじいちゃんと会えましたか?
随分お腹も空いたでしょう。
きっとおじいちゃんも待ちくたびれてたと思うよ。
ゆっくりと、ゆっくりと、身体を休めて・・・。
二人で仲良く永遠の時を過ごしてくださいませ。
さようなら。
本当にほんとにありがとう。
俺はね、No.2が良く似合う男だって思うの。
たぶん、それが一番、俺の能力を発揮出来ると思う。
性格的にも、トップのプレッシャーなんてまっぴらゴメンだし・・・。
だけど、ね。
支えたい男がいなけりゃ、自分でやるしかないでしょ。
しゃあないよ。まったく・・・。
謹賀新年 決して満足の行く年末を迎えたとは言えなかった昨年。
大厄となる今年。
自らの欲の渦に飲まれ、怠惰としか言えないような日々を過ごし、20年越しの目標を集大成させるはずだった年にもかかわらずひたすらそのことを避けてしまった2010年。
今年は禊の年とせねば。
そして心を奮い立たせ、ここで踏ん張り、気を引き締めて・・・
「奮」の年として一年を闘い抜きたい。
次の大晦日を清々しく迎えられるように。
その頃には息子もまた新たな成長を遂げていることだろう。
父として胸を張れるよう、厄年にビビらず、正々堂々生きて行こう。
2011年元旦。ここに誓う。